お世話になっておりますm(__)m
JR前橋駅前の不動産屋さんアール・イー・ビーの店長の加藤です!
だいぶスパンが空いてしまいましたが(^^ゞ、
本日は、【 不動大滝 と 滝沢不動尊 と 】の最終回の第四段として、~忠治の岩屋~編になりますm(_ _)m
そうです!
あの、「赤城の山も今宵限りか」で有名な江戸時代後期の侠客である国定忠治(くにさだちゅうじ)が、一時期、身を隠していた洞窟になります!
浪曲や演劇などで有名な国定忠治は、本名を長岡忠治といい、上野国佐位郡国定村(現在の伊勢崎市国定町)の生まれで、早くから無宿渡世の道に走り関八州の大親分として名をはせましたが、博打で儲けた私財を庶民救済に充てるなどその義侠心で人々に慕われていたそうです。
その忠治も、今から175年前の1840年、乾分の仇打ちなど相次ぐ殺傷事件を起こして全国指名手配となり、厳しい役人の追手を逃れて同年11月から翌年2月までの約3ヵ月間、この岩屋に身を隠したと言い伝えられているとのことです。
例の名台詞「・・・赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定の村や縄張りを捨て国を捨て、可愛い乾分の手前達とも別れ別れになる門出だ・・・」は、この岩屋を去って遠く信州路へ旅立つ時のものです。
その後1850年についに捕縛され、数々の罪状の中で一番重い関所(大戸関所跡:東吾妻町)破りの罪で磔の刑に処せられました。
以上、本部長の群馬紀行 第5回 滝沢の不動大滝と忠治の岩屋より転載させて頂きましたm(_ _)m
今は、洞窟内でガスが発生している為、中には入れませんが、以前は入ることができまして、
私が子供の頃は、階段を下りて、洞窟内に入ると、薄暗い中で、音声放送が始まり、よく見ると等身大の人形が3体あって、たいそう不気味で、怖かった記憶があります(^^ゞ
其の壱~滝沢不動尊までの道中~編に載せて頂きましたが、こちらの忠治の岩屋の手前には、忠治みはり岩 もあって、みはり岩で子分に見張りをさせながら約3ヶ月間あの岩屋に身を隠していたのかと思うと、何だか江戸時代の有名な侠客国定忠治に思いを馳せてしまします(´Д`)ハァ…
最後までお読み頂き有り難う御座いましたm(_ _)m
※尚、前回の其の参~不動大滝~編はこちらになります
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